いつも読んでいただきありがとうございます。
今回は中学生で不登校に行けなくなってしまったきっかけを書いていきたいと思います。
小学6年生の時に、クラスメイトから暴言を言われることが始まって、それから体調を崩し始めました。
その頃はまだ、原因がストレスだったとは知らず、私の体の問題だと私も親も思っていました。
中学校2年生へ上がるとき、親の仕事の都合で他の県へ引っ越しをすることになりました。
新しい中学校でも良い友達に恵まれ、楽しく通い始めました。
しかし、このころ私の体が言うことを聞かなくなってしまっていったのです。
中学1年生になるまでは、朝お腹が痛くなるだけで学校へ行くと良くなっていたのですが、
引っ越してからは学校へ行っても良くならず、授業中にもお腹が痛くなり始めたのです。
母も心配をして私を病院へ連れていってくれたのですが、いろいろな検査をしても特に異常はなく・・・。
学校へ行ってもお腹が痛いので、休み時間のたびにトイレに籠ることが続きました。
保健室へ行ってベッドに寝かせてもらうと治って、でも教室へ行くとまたお腹が痛くなってを繰り返し、
ついには学校へ行くことができなくなってしまいました。
そして、通っていた内科の先生から紹介された先は、精神科でした。
身体的には異常はなく、心の問題ということでした。
私は母に連れられて家の近くの総合病院にある精神科に行きました。
私はそこの精神科の先生に、学校は治るまで休学するように、そして精神安定剤を処方されました。
診断名は過敏性腸症候群と自律神経失調症でした。
約20年前の当時はインターネットで情報を調べるという習慣はほとんどなく、病院の先生の言葉だけが拠り所でした。
母も私も薬を飲んで学校を少し休めば、きっとまた元気になって学校へ行けると前向きな気持ちでした。
今になってわかったことですが、当時私に処方された精神安定剤は、現在では10代の子供に使用されることが極めて少ない、とても強い薬だったようです。
学校へ行かなくても良いことになって、本心ではほっとしていました。
自分の中でも、もう限界だったな、ということはわかっていたのだと思います。
ただ、学校へ行かなくなってから、罪悪感がありました。
その罪悪感は、両親に対してでした。
学校へ行けない私、がんばれなかった私、家にいても何もできない私。
学校へ行けない私は、【悪い子】なんだ、と自分で自分に呪いをかけていました。
私はその罪悪感を打ち消すために、安定剤に頼るようになりました。
皮肉なことですが、両親の最愛の娘が、両親に対して抱く罪悪感を払拭するために薬を飲んで体を蝕んでいく・・・。
当時の私にはそれしか生きていく術が見つかりませんでした。
安定剤は副作用が強くて、特に私の場合は眠気とふらつき、記憶障害、そしてイライラが多かったです。
すべてが悪循環に陥っていました。
学校へ行かなくなってからは、朝遅くに起きて朝食を食べて少しテレビを見て、
お昼ご飯を食べるともう眠気で起きていられなくなってそのまま夕方まで寝ていました。
夜ご飯を食べてお風呂に入って、また夜眠って・・・。
ほとんどの時間を眠って過ごしました。勉強をしたくても、本を開くとすぐ眠たくなってしまって、集中力が続きません。
眠いし、外出もしていないので、専業主婦だった母にイライラして八つ当たりしてしまったり。
学校へ行かないといけないというストレスからは解放されましたが、今度は他のストレスが溜まっていきました。
薬を飲んでも学校を休んでも一向に良くならない。
外出するときはお腹が痛くなってしまうので外出もできない、人にも会えないし、引っ越したばかりだったので仲の良い友達もいない。
家では勉強もできず、寝てばかりで、何もできなくなっていく自分に嫌気がさしていきました。
結局、中学2年生の6月から学校へ行かなくなって、中学3年も丸々行けず、高校は通信制の高校へ進学しましたが、
眠くて勉強がまったくできなかったので、中退しています。
なので、私の最終学歴は中卒ということになります。
今思えば、なぜ副作用が強い薬を止めなかったのか、なぜ他の病院に行ったり、福祉の手助けを求めなかったのか、という思いもありますが、
私の母は年代柄パソコンやインターネットが苦手で多様な情報を得ることが難しかったですし、私も情報を得る術を知らなかったのです。
私はただ母に連れられて、毎月病院の精神科に通って薬をもらって飲み続けていました。
読んでいただきありがとうございました。
コメントを残す